人を悪魔にする、『正義』という名の免罪符
こんにちは、奥です。
こんなツイートがタイムラインに流れてきまして、
ちょっと思うところあって、記事にしました。
そのツイートというのがこちら。
これは、真理。 https://t.co/6nCyfNEIIz
— 奥たくや@お客さんに刺さるオリジナル商品戦略マップ (@takuyaok29) 2019年2月9日
あなたは、誰かを批判したことがありますか?
「人の批判をするな!」
とかそういうレベルの話をしているのではなく・・・
そもそも『批判』って悪いことじゃないですし。
『批判』
[名](スル)
- 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
- 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
- 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
引用:コトバンク-デジタル大辞泉
1.のように、判定して評価するという意味もあるんですね。
まぁ言葉の定義はこのへんで。
批判するときに、「自分の言っていることは絶対的に正しい!」と思っていませんか?
これ実は危険です。
相手の状況・価値観・環境・宗教観を考えずに、「こうあるべき!」と押し付けているからです。
この世に絶対的に正しいことなんてありません。
ですが、多くの人は『自分が正義・相手が悪』という構図で批判を正当化させます。
「自分は、悪をこらしめる正義だ。」
と思った瞬間相手を叩くことに何の抵抗もなくなります。
ある人は徹底的に叩きのめすでしょう。
それを本人たちは全く悪いことだとは思っていません。
むしろ良いことをしている、世直しだと本気で思っています。
だって、正義は悪をこらしめるものなんですから・・・。
本当の悪魔とは、巨大に膨れ上がったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブにおちると一斉に集まって袋叩きにしてしまう。そんな善良な市民たちだ。TVドラマ 『リーガルハイ2』より
リーガルハイは、法学部の授業のテーマにもなるほど。
動画貼っときます。
↓ ↓ ↓
このように本当の悪魔は、『巨大に膨れ上がったときの民意』とあります。
民主主義を突き詰めると危険です。
「みんなが言っているから・・・」
「それが普通だから・・・」
と思考停止してしまうからです。
私は『正義』というのは、人を叩くときのただの『免罪符』だと思います。
正義とは、相対的なものです。
絶対的な正義なんてありませんよね。
知ってる方も多いかもしれませんが、
『ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。』
というコピー。
これは『正義が正しく、悪は間違っている』という価値観に疑問を呈した秀逸なコピーだと思います。
思考停止せず、盲目的に考えるのではなく、様々な視点を持ちましょう。
というお話でした。
もちろん私も含め、です。
そうすれば、もっと人生が豊かになると信じています。